父、ベルナールの代に蔵は大きくなり、1984年にユベールが、
その2年後には弟が父を手伝うようになりました。
協同組合での経営は順調でしたが、ユベールは、
丹念に育てたブドウがその良さを表現することなく
ワインになってしまうことに欲求不満を感じだしました。
「何か違う」「自分が育てたブドウでワインをつくってみたい」この願望が
いよいよ強くなって、1999年に自然派ワインの蔵元から専門知識を教わり、
自分たちが思い描くワイン造りを確信しました。
そして2000年に、ついに妻のエイディと組合を離れて自社で
醸造からビン詰めまですることを決断したのです。
しかしユベールの弟は協同組合に残ることを選んだため、
この蔵は2つに分割されました。 ユベール夫妻は4haの畑を引き継ぎましたが、
農機具が全くなくなってしまいました。二人はこのハンデを契機にして、
テロワールを尊重したブドウ栽培をするために
化学物質を一切使わない農業を選択し、
手作業によるブドウ栽培を始めました。
それは祖父の時代には当たり前の農業でしたが、
近代化された現代では“奇妙な”方法だと思われています。
「生きた土作り」をするには、馬で耕す方が良いと思い、
請負業者に頼んでいましたが、定期的な耕作ができない不便さがありました。
そこで土を固めないようにと小型の耕運機を購入して4年ほど過ぎたころ、
やっと一頭の馬(スキッピー)を入手することができました。
それ以来、自分たちで馬と一緒に耕作しています。
2000年に実家のすぐ隣にある建物を購入して、ワイン醸造所と
熟成庫として手を加え、初ヴィンテージを仕込みました。
テクニックとしての「醸造技術」は複雑で不自然ということで、
昔ながらのワイン造りを目指しました。ブドウを手摘みして、
ゆっくりと圧搾した後、天然酵母による醗酵に移ります。
その後は細かな澱と一緒に、ワイン自体のリズムを尊重した
熟成を行うというものです。 しかしワインを造っても誰が買ってくれるのか?
顧客を全く持っていない状況で、ワイナリーを興すことはとてつもなく
大きな不安がありました。それを乗り越えられたのは、いくつか理由があります。
〇祖父セレストのカーヴに入る機会があったこと。
使われなくなった圧搾機や醗酵槽などを目の前にして感動。
〇ワインを試飲して、それができた背景を思いめぐらせることに
強い興味があったこと。
〇一番大きな理由は、父や弟と共に「いつか自分たちのワインを造りたい」と
話していたこと。結局この夢は違う形で実現することに。
〇そしてエイディが収穫のアルバイトに来て出会ったこと。
彼女は蔵に残って結婚し、2年後に協同組合から独立しました。
●栽培・醸造 完成したワインの品質は、
原料となるブドウの品質が大きく影響します。
優れたワインを造るには品質の高いぶどうを得ることができるか?
酸味と糖分、タンニン成分がバランスよく成熟するまで待つことができるのか?
という点が大事です。 そのためには収穫量をコントロールしなければなりません。
アルザス地方では1ha当たり80hlの収量が認められていますが、
収量が多いと残念ながら品質は落ちてしまいます。
オシェールでは単位面積の収量を30~50hlまで抑えることによって、
香味が豊かでエキス分がしっかりとしたブドウが育ちます。
醸造:少量のSO2を使う以外は、醸造テクニックを使わない。
19世紀に使われていた手動の垂直型木製圧搾機を修復し、
ゆっくりと丁寧な圧搾をして、コロイド状の物質が
混ざらない澄んだ果汁を得る。
以前は、品種ごとのワインを造っていましたが、
現在は区画ごとに2,3品種を混ぜたワインがほとんどとなっています。
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