父ジェラールは、ブドウ栽培に専念し、生産したブドウを全て協同組合に
販売して生計を立てていました。しかしながら、1970年代から畑の一部に
おいてビオロジック栽培を採用し、年を追うごとにその面積を拡大していきます。
ジェラールは、畑に向き合い、自然環境を尊重する栽培を心がけ、
それを通じて質の高いブドウを生み出すべく
努力を重ねていた稀有なブドウ栽培者でした。
そんなジェラールの崇高な精神は、娘であるベネディクトにしっかりと受け継がれます。
ジェラールの引退に際して、教師という安定した職に就いていたベネディクトですが、
その安定した職を離れ、ブドウ栽培者であり
そして自らワインを手がけるワイン生産者でもある「ヴィニュロン」の道を歩み始めます。
そんな彼女たちが歩みを進める上で、転機となった出来事がありました。
知人のシャンパーニュ生産者から「自然な」ワイン造りを志すならと
ジュラのピエール・オヴェルノワの訪問を勧められたのです。
オヴェルノワと言えばフランス自然派ワインの世界で、
その礎を築いた伝説的な生産者として知られる人物なのですが、
なんとベネディクトたちはその名前も存在も知らず、
ただ勧められるがままに彼のもとを訪ねました。
その突然の訪問客に対して、ピエールは多くの時間を割き、
彼のワイン造りの哲学やテロワールの魅了をどうボトルに封じ込めるのかを
熱っぽく語ってくれたといいます。
「あの伝説のオヴェルノワを知らずに訪ねたなんて、
今となっては笑い話でしかないのですが。もし彼の事を知っていたら、
あんな風に気軽に訪ねる事はできなかったかもしれませんね。」
これを機会に、ベネディクトたちは、オヴェルノワをワイン造りの父として敬い、
シャンパーニュという土地での真実のワイン造りという大いなる挑戦がはじまります。
実は彼女たちは、もうひとつの幸運にも恵まれます。
ワイン造りの精神的支えがオヴェルノワであるとしたら、
実質的な支えとなった人物がいました。
それは、エッソワ村からわずか15kmほどという距離にある
ビュキシエール・シュール・アルス村に居を構えるベルトラン・ゴトロ
(ヴェット・エ・ソルベ)その人です。
物理的な距離も志も近いベルトランからも多くのインスピレーションとサポートを得て、
ベネディクトたちは理想のワイン造りに突き進みます。
畑においては、ブドウの生態を尊重し、それぞれの区画や土壌の個性を
素直に表現できるようにと一部ビオディナミのコンセプトを取り入れた
自然な栽培を行います。
醸造段階においては酸化防止剤となる亜硫酸の使用を抑えるよう努め、
熟成段階においても同様に使用を避けます。
ワインは、土壌の特性ごとに瓶詰めされ、
ブルゴーニュ的な区画ごとの個性や味わいを表現することを目指しています。
ベネディクトとエマニュエルの二人、
まだデビューしたばかりの若手の造り手ではありますが、
間違いなくシャンパーニュのこれからの時代を切り拓いてくれる
「革新的な」開拓者たちだと言えるでしょう。
感度の高いシャトー・ブリアン、セプティーム、ヴィヴァン、ノーマといった
ヒップなレストランではすでに、彼女たちのワインが取り扱われはじめています。
折りたたむ