ドメーヌ解説
3世代に渡る開拓者
1895年以来、フルーリー家は代々「革新」を信条とし、
家族経営のドメーヌとして続いてきた。
1901年: シャンパーニュ畑はフィロキセラの来襲に見舞われる。
ヴィニュロンであり苗木屋である
Emile Fleury(エミル・フルーリー)は、
フィロキセラ耐性の大樹を用いたピノ・ノワールをこの地域に導入した。
1929年: 経済危機到来。ぶどう果の価格とネゴシアンシャンパーニュは暴落した。
Robert Fleury(ロバート・フルーリー)は彼自身の収穫物を醸造し、
自身のシャンパーニュを造りだした。
つまりシャンパーニュ南方において、
レコルタン・マニピュラン先駆者の一人となった。
1970年: 環境保護の自覚とし、第一歩を考えた「どんな地球を子孫に残すのか?」
Jean-Pierre Fleury(ジャン=ピエール・フルーリー 64歳)は
エコロジーへの省察と探求を開始し、有機農法による栽培を試み始める。
1989年: 畑の一部をビオディナミ栽培に転換し、1992年には畑全体に施す。
2000年: クルトゥロンの小さな村で、25ヘクタールの畑を3人のヴィニュロンと
彼らのチームがビオ・ディナミ栽培を実施。
コート・デ・バールのテロワール
シャンパーニュ地方では、紀元1世紀からブドウが栽培されていました。
その固有なテロワールは
*北部に位置すること
*海洋性気候と大陸性気候の二面性があること
*地下の大部分は石灰質土壌である
*丘陵地の上で栽培がされていること
ブドウ栽培地域の面積は、1927年に法律(AOC法)で確立されました。
コート・デ・バールはかつて海で覆われていたパリ盆地の南東の露出した部分で、
沈下していた時のパリ盆地の北東部分の隆起によって、形成されました。
土地の浸食に続く河川の流れが、起伏のある谷と丸みのある丘をもたらしました。
丘にはブドウ畑が規則正しく広がり、調和のとれた畑に並んで森があり、
バランスのとれた景観が広がります。
フルーリーの畑は、Seine(セーヌ)の流域のCourteron(クルトゥロン)の
小さい村の近郊に位置します。
数10キロメートル離れたところに水源があり、
la Laignes(ラ・レーニュ)、l’Ource(ルルス)、
la Sarce(ラ・サルス)の分留地点でもあります。
この地域は主に泥灰土で構成されています。
すなわち粘土質石灰(アルジル・カルケール)は、多孔性の土壌で、
ブドウへの水分や養分補給を十分に保ちます。
これらの地層の露出は中生代
(ジュラシック、オックスフォード、キンメリッジ)のものです。
地下土壌の特質により、適した品種が決まります。
シャンパーニュにおける必要不可欠な3つのセパージュは、
ピノ・ノワール、ピノ・ムニエとシャルドネです。
私たちの畑の90%はピノ・ノワールが植わっており、10%程度がシャルドネです。
ピノ・ノワールは春の凍結に、より耐久性があり、ワインにこく、
骨格と力強さをもたらします。
シャルドネは、フローラルなアロマを持つフィネスをもたらし、
緩やかに熟成を辿ります。
私たちはぶどう樹を丘の上へと移植しました。
そこは最上の日射の恩恵を受ける場所です。
様々な区画を分割し、歴史やそのテロワールで生きていた人々の持つ名前によって、
昔から識別されてきました:Champraux(シャンプロー)、
Val Prune(ヴァル・プリュンヌ)、Val Veot(ヴァル・ヴェロ)、
Charme de Fin(シャルム・ド・ファン)、Les Mouillees(レ・ムイエール)、
Membaucheiメアンボシェ)..
ビオディナミ栽培
1970年、畑に対していくつかの選択をしました。
化学製品をやめ、堆肥と有機肥料を使うこと。
除草剤の代わりに草刈り機と手作業で深耕すること、
今日リュット・レゾネで使用されているような植物予防製品を極少量使用すること。
先ず3haから開始し、1992年には所有畑全てに行いました。
この後、ビオディナミへと転換していきました。
自社畑15ha、ビオディナミをともに志してきた友人の畑8haのブドウを購入し、
年間生産量は20万本。
折りたたむ