もともと教師という職に就いていたジャン・バティスト、
15年ほど前にアルボワに赴任し、もともとワインが好きだったこともあって
古いプレス機と10aほどの小さな畑を購入して自家用のワインを作っていました。
そんな中、自然なスタイルのワインに出会い、
自身も自然な栽培・醸造でワイン造りに取り組むようになります。
そして、何年かワイン造りの経験を積むことで、
専業としてのワイン生産者の道を志すようになりました。
しかしこれは、周囲の人間からは考えられないほどリスクの大きい転身でした。
フランスでの教師という職は、非常に安定した職業として知られ、
この職を投げ打って自然相手の不安定なワイン造りに転身するというのは、
多くの人にとってはありえない選択でした。
しかし、ジャン・バティストは入念な準備と確信を持って、
2012年からアルボワの地でワイン生産者となります。
彼をサポートしたのは、30haを超える畑を自らの代でビオロジックに転換した
陽気な挑戦者ステファン ティソ。
ワイン生産者への転向を考えていたジャン・バティストを勇気づけ、
新たな挑戦への背中を押してくれました。
また、ワイン造りの実践的な助言だけでなく、
熟成用のセラーなど醸造設備を一部借受けるなど実質的なサポートも受けました。
その他にもこの地の偉大な先達であるピエール・オヴェルノワや
エマニュエル・ウイヨンからは、「忍耐こそが素晴らしいワインを造る」と
教えられたと言います。
ジュラという土地自体は、決してワイン造りが容易な場所ではなく、
また近年の天候もそれをさらに難しいものにしています。
しかし、その困難を耐え抜き、実直にワイン造りを続けていけば
素晴らしいワインを生み出すことができる。
その教えを忠実に守り、日々の仕事に向かうジャン・バティストの姿は、
まさに職人だと言えます。
現在は4haほどの畑をフェルマージュ(賃貸)契約で栽培し、シャルドネ、
サヴァニャン、プルサール、ピノ・ノワールなどの品種を栽培しています。
2012年はスタートの年ということもあり、タンクとプレス機のみ新たに手に入れ、
それ以外の設備はレンタル。醸造所も熟成庫も別々の場所で借りており、
作業が煩雑となっていました。
2013年からは、古い民家を購入、醸造所に改築していて、
このセラーが完成すれば、より理想に近い形で
ワイン造り取り組めるようになると言います。
ワイン生産者に転身した現在も週2回ほど
身体に障害を抱える子供たち向けの教師を務めるなど、
温和で心優しいジャン・バティスト。
多くの試行錯誤を経てジャン=バティスト本人の繊細で
心優しい人柄がピュアに表現されたドメーヌ・レ ボッテ・ルージュの
ワインが生まれたのです。
野村ユニソンさんの資料より
折りたたむ