今は亡きマルセル・ラピエールを知らない人はいませんよね。
マルセル・ラピエール氏が1981年にナチュラルワインを造り始め、
まだその認知度が広まっていない1985年、彼のヌーボーを飲んで、
とてもショックをうけワイン造りの学校に入りました。
その後、1986〜1988年迄マルセル・ラピエールの所で
ワイン造りを一緒に行いました。
まだロワールでもナチュラルワインが広まっていない時です。
そして幻のオノノロスト、ジュール・ショベに
マルセル・ラピエール 達と一緒に直接ワイン造りを学びました。
そんなラッキーな時代があったのですね。
その後、他の品種も勉強したいので、
MaconのJean Thevenetの所で1988〜1989年に働き、
1990〜1991年はビオでないモルゴンの生産者の 所で働きました。
そしてGerard Belaielというビオの生産者の所で
1991〜1995年迄働きましたが、
醸造方法がヴァンナチュールでないので、大変だっ たそうです。
そしてお父様が1995年に引退を決意し、1996年からパトリックが
お父様の畑を引き継ぐ事になりました。
長年、化学肥料を使用していた畑なので、
最初は畑を無農薬に変える事から始めようとしましたが、
それには畑の所有者の承諾が必要です。
畑の所有者はビオに変えることに反対でした。
結果、すぐに変えることが出来ず、その件が理由で2002年に
その所有者はボージョレの大きなネゴシアンに畑を売却してしまいました。
パトリックは新しい所有者に無農薬に変えて貰うよう交渉し、
少しずつならとOKが出たので、年々少しずつ無農薬に切り替えていきました。
全部を 急に変えると収量が減るので、それをオーナーは恐れたのです。
5haの中、2006年には2haの無農薬、
そして2007年にはさらに1haが無農薬になりました。
残り2haの化学肥料のブドウを所有者に渡し、
3haの無農薬の畑のブドウをパトリックが
醸造するという好条件で話がまとまりました。
普通メテヤージュという畑の契約方法は50%50%に
分けるのが通例ですが、無農薬は科学肥料を使 用しないので、
その分所有者の負担が減るので、こういう条件が可能になったのです。
そして 念願の自分のヴァンナチュールを造り始めることになりました。
元々生産量が少ないので、近 所や口コミでワイン販売をしておりました。
そして2016年はいつもより多くブドウが生産されたので、
今回初めて日本への輸出となったのです。
彼のワイン醸造の方法は説明するまでもありません。
何も何も入れないシンプルな限りなくピュアーなワインです。
ディオニーさんの資料から。
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