このワイン生産地のシベリアのような場所で、
若干27歳・ファーストビンテージ2017年にして
瞬く間にドイツに知れ渡った若き俊才がコンラード・ブドゥルスだ。
若くして短期間で有名になる生産者は、
家族がワイナリーを経営していたり、
畑を所有しているなどアドバンテージがあるケースが多いが、
コンラードの父親は自動車整備士、母親は保育士と、
ワイナリー設立当初はゼロからのスタートを切った。
ヴュルツブルクの学校で醸造について学び、
当時はカーステン・ザールヴェヒターと
ブランドブロスのヨーナスとシェアハウスをしていた。
ヴュルツブルク時代に当時小学校の先生だったエヴィと出会い、
現在ではコンラードの二女の母親であり、
ワイン造りのパートナーである。
2015年にはニュージーランドに滞在し、
その後オーストリアのハインリッヒで実践経験を積んでいる。
2016年に実家の近くの畑がEbayで売りに出されているのを聞き、
すぐに購入し、それが彼の最初の畑となった。
元々実家に帰る予定はなかったが、
ザーレ・ウンシュトルートのワイン畑に呼び戻された形になる。
彼らはこの地域で唯一のビオディナミ生産者であり、
設立当初は彼らのワイン造りにおける「自然派なアプローチ」を
周りの多くの生産者に揶揄された。
この地域は雨が多く、冷涼なため、
自然派なワイン造りが可能だと考える人は皆無であった。
しかし、2021年のように極度に雨が多く、
冷涼な年にコンラードの畑のブドウがピンピンしているのを見て、
彼らがどのように畑仕事をしているのか
尋ねてくる生産者が急増したとのことだ。
コンラードは伝統的な1.5メートルの畝間を維持しており、
ブドウの凝縮度を高めるために植樹密度を高め、
収量を落としている。
また、冷涼であるこの地域ではブドウが熟さないことも
多々あるため加糖が広く行われているが、
コンラードは加糖を一切行わない。
従って、出来上がるワインのアルコール度数は
大抵9~12%の間に落ち着くが、
彼はアルコール度数を基準に収穫はせず、
常にブドウの味を見ながら、
最良の収穫タイミングを見極めている。
彼はブドウが過度に凝縮するのを好まず、
そのためグリーンハーヴェストは行わない。
またブドウ葉は切ると成長ホルモンが出て、
果実がより大きくなるため、葉は切らず蔓を上部で結ぶ。
なるべく、自然のサイクルには介入せず、
自分の求める味わいを追求する。
東ドイツ時代、ザーレには一つの協同組合があり、
この地域のブドウ栽培家は収穫されたブドウを
全て協同組合に提供し、ワインを生産していた。
ザーレに最初のワイナリーが設立されるのはソ連解体後であり、
ワイン生産地としての歴史はまだ浅い。
冷涼かつ痩せた土地が多く占めるザーレで好まれるのは、
量産に向いている肥えた区画で、高品質なワイン生産に向いた
痩せた傾斜のある畑の多くは放棄された状態が長く続いていた。
それはコンラードにとっては都合が良く、
古樹が植っていながらも手付かずで荒れ果てた畑を
多く買い足すことができた。
そのため、彼が所有する畑はこの地域に点在しており、
常に長い距離を車で往来しなければならない。
ドイツ国内外の多くのソムリエやワイン関係者が
ドイツワインを学ぶために目指すの往々にして
モーゼルやラインガウだが、
コンラードはそれを少し残念に思っている。
「確かにドイツの伝統地域の畑は
見ておかなければならないと思う。
けれど、ドイツはそれだけじゃない。
このザーレには他の地域同様、
この地域にしか存在しない地形や微気候がある。
さらに、旧東ドイツには西とは異なる
独特の空気感もあって面白いと思う。
この地域では量産ワインしか造れないという
イメージがまだまだ強い。
より多くの人が興味を持ってくれるように
今後もワイン造りを頑張るよ。」
非常に丁寧な仕事と覚悟が決まった彼の視線には、
その現実が変わるのもそう遠くない未来だという
彼のビジョンが垣間見えるような気がした。
クライン・アバ・ワインさんの資料より
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