★1954年アメリカ生まれの現役パンク・ロッカーが、
なんと2010年からロワールでワインを造っていました!
アメリカ、ニュージャージー生まれ。アメリカ人の父とフランス人の母を持つ
ブレンダン・トラセーは、もうひとつの母国語であるフランス語を学ぶために
16才で渡仏。おばさんが住むロワールに渡ります。ジャーナリストのおばから、
フランス料理の文化やワインについて多くを学びました。
高校では文学と哲学を専攻、そしてソルボンヌ大学に入学。
文学と映画(Critic)を専攻します。
卒業後は一旦アメリカに戻り、建築家のもとで働く傍ら、音楽活動に励みます。
当時結成したパンク・ロック・バンド「The Insults」(ネット検索ヒットなし)は
2枚のシングルをリリース、Dead KennediesやBlack Flag(wikipedia等参照)
といったハードコア・パンク・バンドとコンサートを行なったほどです。
『音楽を通じて得た出会い。ティエリー・ピュズラ、パスカル・シモヌッティ。』
フランスに再び戻ったブレンダンは、当時開局の準備を進めていた
ブロワのラジオ局に勤務、プログラム・ディレクターとDJを兼任、
最終的にはリポーター、プレゼンテーターとしても活躍します。
ラジオ番組の一環で90年代半ばに行なったヴァン・ナチュールの
リポートでロビノー、オジェ、ポテール、ピュズラ、シモヌッティといった
多くの造り手と出会い、交流を持つようになりました。
特にティエリー・ピュズラとは深い親交を結び、
フランスに戻ってからも続けた音楽(パンク)を通じてパスカル・シモヌッティとは
バンドを結成、いまも同じバンド仲間として好きなパンク・ロック・ミュージックを
分かち合っています。
『ワイン造り』
27年間勤めたラジオ局ですべてをやりきったと感じ、
そして「生き物」と仕事がしたいと強く思うようになった2008年のある日、
ワインの道に進むことを決意します。局を辞め、まずはヴァンサン・ジローや
シャトー・ガイヤールの畑で働きます。そしてアンボワーズの醸造専門学校に入学。
研修先としてもちろんティエリー・ピュズラを選びヴァン・ナチュールを学びます。
2009年7月に卒業、翌年2010年の8月からサン・タンヌで造るワインが
ファースト・ヴィンテッジとなります。
たったひとつの醸造用樹脂タンクと、ティエリー・ピュズラから譲り受けた
古い230Lサイズのバリックでスタート。
有機栽培の古い樹齢(1960年代に植えられた樹)のブドウを購入し、
醸造してビン詰め。
造り始めた直後にエヴァ・ロビノーやシルヴィ・オジュローがインターネット上に
彼の記事を掲載したこともあり、瞬く間に知られるようになり、
今ではフランスで人気が出始めている若手(?)のひとりです。
ラシーヌさんの資料より |